1918

日米板硝子株式会社 設立

創立事務所が置かれたビル(のちの本社)

帰国した杉田は新会社設立に取り掛かった。当時、コルバーン法に関心を抱いていた旭硝子から事業参加の意向が寄せられた。住友総本店理事となっていた山下は、国際社会の中でガラス産業の確立が日本にとって重要であることを認識しており、板ガラスの技術を持つ旭硝子の参加を受け入れ、会社設立準備が進められた。
途中、日本での特許登録が取り消されていたなどの障害があったが、1918年11月22日新会社の設立にこぎつけた。新会社は、リビー・オーウェンス社との関係を示すため「日米板硝子株式会社」とした。住友のほか、リビー・オーウェンス社や旭硝子も大株主として名を連ね、杉田は代表取締役兼常務に就任した。