1952

舞鶴工場の発足

操業開始したころの舞鶴工場

戦後の復興が進むにつれて、日本では建築物の高層化・耐震化が進み、板ガラスの需要は著しく増加していった。そこで当社は、第3の工場を京都府舞鶴市に建設することを決定し、1950年9月に地鎮祭を行い、建設工事を開始した。しかし、折からの朝鮮戦争の影響で国内物価は急騰し、工場建設の費用も当初の8億円から14億円へと高騰が見込まれ、建設資金の調達に全力をあげることとなった。当時、日本銀行は金融引締策を採っていたが、中村社長は日本銀行総裁に直接思いを説明し、総裁の了解を取りつけることができた。待望の工場開設式は1952年7月に挙行され、9月6日から操業が開始された。