1920

ガラス生産の発展

徐冷塔の上部でガラスをカットし、板ガラスを引き離している様子

ガラス製造の機械化により、手吹法のガラス製造が市場から消滅するのは明らかだった。機械によるガラス製造は、品質面で手吹法に劣るが、大量生産の利点があった。しかし、米国のColburnとベルギーのFourcaultが特許を取得した板ガラス製造法(帯状の平板ガラスを引き上げて製造する方法)により、円筒製法は、徐々に競争力を失っていった。Pilkingtonは、Fourcault製法を1903年に検討していたが、円筒法を支持する声により実現しなかった。
1920年代の初めに、Pilkingtonは米国のFord Motor Companyと協力し、流れ作業と研磨を連続的に行う方法の開発にあたった。その後Fourcault製法は発展し続け、技術面における懸念も減少したため、円筒製法からの移行が加速していった。そして、同社が板ガラスの製造廃止を検討していた1920年代の終わり、今度は連続平板引上法の開発に成功し、大きな転換期を迎える。これはPPG法と呼ばれ、Pilkingtonは1931年にこの製法を導入した。