1919

リビー・オーウェンス社の技術指導員が来日

当社社員とリビー・オーウェンス社社員 (二島工場 本館事務所前にて)

新会社の工場用地は福岡県島郷村字(現・北九州市若松区二島)の二島(ふたじま)に決定し、1919年春、二島工場(のちの若松工場)の建設が始まった。設計はリビー・オーウェンス社の工場設備にならって行われたが、第一次大戦終戦後の景気台頭により、建築資材や賃金の値上がりで銀行からの借り入れにより建設が進められた。作業員は同年8月時点で225名を数え、工場長は杉田が兼務した。米国からはコルバーン式機械が輸入され、その据付と運転指導のためリビー・オーウェンス社から現場監督のオットー・C・ミラーをはじめ、職長や機械主任などが着任して指導に当たった。