1923

関東大震災と復興の取り組み

1923年9月、関東大地震が発生し、関東の7府県が大きな被害を受けた。復興資材として板ガラスは突発的な大需要を呼び、機に乗じて値上げする業者も出た。二島工場では値上がりを見込んで出荷を見合わせることを考えたが、当時の住友合資会社理事 湯川寛吉から「人の弱みにつけこんで儲けようとはもってのほかだ。住友精神とはそんなものではない」との言葉をうけ、当社はほとんど値上げをせずに製品の供給を続けた。しかしながら在庫品が一掃されたこともあり業績が好転し、利益金を計上できるようになった。1924年には株式が東京株式取引所実物市場に登場し、初めて取引が行われた。