1929

中村文夫営業部長(後の社長)、特約店増設に着手

販売店の看板

当時、当社は大特約店主義を採っていたため、地方へは大特約店を通じて流通が行われていた。中村営業部長は、1929年に販売制度を研究するため渡米し、リビー・オーウェンス社を始め、米国の販売制度を視察した。米国では各都市に特約店が設置され製品が販売されていることを学び、日本でも各市に特約店を設けることにした。地方の特約店は製品が安く手に入り、当社には保証金が入るという「二者両得」の契約だったため、特約店は順調に増え、5年後の1934年下期には目標の約200店に達した。中村部長は、汽車は三等車、宿泊は木賃宿を利用し、節約を自ら体現し、しかも週末を使って各地を回るという出張を続けてなしとげた販売網の構築だった。