1935

第2工場の建設決定

四日市築港計画図

板ガラス需要の大半は東京、大阪、名古屋の大都市圏であったが、福岡県の二島工場はこれらの大消費地から遠く、輸送などの割高なコストが課題となっていた。そこで、大石常務が1931年に欧米へ出張・視察するなどし、将来的な需要増大を見据えて大消費地の近くに第2工場を建設する決意を固めた。第2工場建設にあたってはリビー・オーウェンス・フォード(LOF)社から増資の同意を得て、候補地も大阪北港埋立地にほぼ内定したが、その建設予定地が1934年の室戸台風で高潮の被害を受け、計画は中止された。新たな候補地の選定が急がれる中、同時期に三重県四日市市からの熱心な勧誘もあり、立地適性など諸条件を勘案して1935年同地に建設することが決定された。