1936

四日市工場の建設・操業

四日市工場の建設のようす

四日市工場は1935年9月に地鎮祭、翌年11月に1号窯の仮火入れが行われ、待ち望まれた第2工場の操業は12月に開始された。しかし翌年1月には精製ガス管の爆発、自動秤量機の不調による撤去、熟練工不足など、さまざまな問題を抱え、同工場の船出は順風満帆とはいかなかった。1937年にようやく製造が軌道に乗り、工場内の真新しいホームから東京に向けて初出荷された。同年には2号窯も稼動し、翌1938年には磨工場(ガラス表面を磨いて平滑性を出す設備)の運転も開始されたが、日華事変の影響などにより需要は減退した。その結果、1炉操業を余儀なくされ、連続磨設備は操業を停止せざるを得なかった。