1939

板ガラスの裸輸送

裸輸送を伝えた朝日新聞記事(1939年6月2日付)

戦時下の統制経済のもと、板ガラスの原料や燃料は次第に入手困難となり、梱包材料である木材の確保まで厳しくなっていた。当時は板ガラスの梱包には全面隙間のない木箱が用いられていたが、板材節約のため隙間のある木箱が新たに採用された。そんな中、さらなる物資節約の検討に迫られ、1939年四日市工場から大阪向けに板ガラスを裸で貨車出荷するという当時の常識では考えられない方法が試みられた。この輸送自体は成功したが、特殊な貨車を必要とすることから配車に課題があり、普及することなく中断された。今日では当たり前の裸輸送は、戦後から本格的に普及し始めたが、その先駆けともいえる試みであった。