1943

中村文夫 初代社長に就任

初代社長 中村文夫

当社の磨板ガラスは軍需品としても重用され、磨板ガラスを生産していた四日市工場は1942年に軍管理工場となった。翌年には軍需会社法が実施され、航空機用磨板ガラスを生産していた当社は軍需会社に指定された。軍需会社法では、生産責任者は社長と規定されていたため、1943年社長制を採用し、常務であった中村文夫が初代社長に就任した。当社は会社設立時、住友から社長を迎える考えであったが、実現しないまま住友の経営となり、住友の連携会社にならって社長制を廃止していた。