1944

東南海地震と南海地震

南海地震の被害(1946年)

1944年12月7日東海地方をM7.9の大地震が襲い、死者・行方不明者1,183名、全壊戸数2万戸を超える甚大な被害をもたらした。四日市工場では煙突3本が倒壊し、熔槽や徐冷窯の基礎、蒸気タービンにも大きな損傷を受け、生産機能を完全に喪失した。しかし、軍の強い要請により最優先で磨板ガラスの生産再開に努め、翌年1月には早くも復旧させた。ところが同年半ばには空襲により大打撃を受け、さらに2年後の1946年12月21日には和歌山県潮岬沖を震源とするM8.0、死者・行方不明者1,443名の被害をもたらした南海地震が発生した。とりわけ磨設備が大損害を被るなど、受難が続いた四日市工場であったが一丸となって乗り越えた。