1950

株式の上場

終戦後、日本ではインフレが急速に進行し、設備資金や運転資金の増大が企業経営を圧迫していた。当社も工場復旧のため借入金が増加し、1950年3月には借入金が資本金の20倍超に達し、すぐにも増資が必要な状況であった。1950年6月には資本金を7,500万円に増資したが、それでも資本構成の不均衡は十分には是正されず、引き続き2度にわたり増資を行った。当社は将来の資金調達の道を開き、株式売買を容易にするために上場する方針を決定し、同年6月に大阪と東京の証券取引所に株式を上場し、その後1952年にかけて全国の証券取引所に上場を果たした。