1965

フロート設備の操業開始

東洋初のフロート製法を伝える新聞記事 (1965年12月26日 朝日新聞紙面より)

当社は1964年8月ピルキントン社にフロート技術調査団を派遣し、待望のフロート導入がスタートした。導入に際しては、舞鶴工場3号窯を改造することとし、1965年5月に3号窯を停止して本格的な改造工事が始まった。工事が進行するにつれてピルキントン社、当社それぞれの技術者、作業者の往来があり、設備から操業のあらゆる技術の習得に努めた。設備では地震対策のために設計が変更になったり、輸入レンガが規格外であったため、急遽、飛行機をチャーターして工期に間に合わせるなどの苦労もあったが、工事は計画通りに無事完了した。そして雪が降りしきる1965年11月15日、渡邊社長の手で熔融ガラスの取出口が開かれ、その40分後に記念すべき東洋初のフロート板ガラスが姿を現した。このガラスは2009年10月、国立科学博物館「科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)」に選定された。