Story2

フロート製法の発明と
技術導入

英国ピルキントン社で研修を受ける日本側スタッフ

フロート製法の発明と技術導入

フロート製法の発明

アラステア・ピルキントン卿
アラステア・
ピルキントン卿

20世紀に発明されたコルバーン法とフルコール法により板ガラスは大量生産時代をむかえたが、これらの方式では両面が完全に平らで、均一な厚みのガラスを作ることが難しかった。そのため鏡、自動車など高度な品質が必要な用途には表面を磨いた磨板ガラスが使われていた。
時を経て、板ガラスの火づくりの美しさと磨板ガラスの平坦さを持つ製法が英国ピルキントン・ブラザーズ社の技術担当取締役アラステア・ピルキントン卿 (Sir Alastair Pilkington) によって発明され、1959年同社からフロート製法として世界に発表された。
フロート製法は溶融したガラスをフロートバスの中の溶融した金属スズの表面に浮かばせながら流すことで、完全に平らで、かつ重さと表面張力の関係で全面均等な厚みのガラスが出来る画期的な方式であった。

フロート設備の構造
フロート設備の構造

アラステアは1947年ケンブリッジ大学を卒業後、ピルキントン社に入社し、火づくりのままで、ゆがみのない板ガラスをつくるという難問に取り組んだ。表面張力によってガラスを平らにする考え方は以前からあったが、どのような物質でガラスを支えるかが問題であった。アラステアは、ある日、夕食後に皿洗いを手伝っていたとき、水に浮かぶ油を見ながら「ガラスを液体の上に浮かしたら?!」と思いついた。1952年のことである。
原理はわかったものの、それを実用化することは並大抵にことではない。その年の12月にテストを始め、平坦なガラスをつくることはできたが、完全なものではなかった。試作は幾度となく繰り返され、1954年に76㎝幅の設備をつくり、ほぼ満足できる結果をものにした。1955年 ピルキントン社は本格的なフロート設備の建設を決定し、足掛け7年の歳月と40億円の研究費をかけ、遂に1958年7月 完全なフロート板ガラスが完成した。

フロート製法の技術導入

フロート製法は世界で高く評価され、主要な板ガラスメーカーはこぞって技術導入に動いた。当社もフロート製法の成功が発表された1週間後の1959年1月末には技術供与についてピルキントン社の意向を打診し、2年後の1961年秋 中村文夫社長(当時)は同社を訪ね、技術導入の希望を申し入れた。その後、1963年7月 渡邊逸郎社長(当時)が渡英し交渉した結果、技術指導についての大綱はほぼ合意に達し、1964年3月 ロンドンでフロート板ガラス製造技術導入の契約を調印した。

導入契約の調印式
導入契約の調印式

フロート設備の建設

英国ピルキントン社で研修を受ける日本側スタッフ
英国ピルキントン社で研修を受ける日本側スタッフ

フロート設備の建設

1964年8月から宮坂満喜三常務(当時)をリーダーとする技術・設計関係者がピルキントン社を訪れ、本格的な技術調査にあたった。当社の導入計画は先に導入した欧米の会社に比べ建設期間が短く、かつ内容もきわめて具体的であったので、ピルキントン社は当社の計画性と技術水準の高さに驚いたという。
技術調査団の帰国後、舞鶴工場の3号窯をフロート窯に改造し1965年11月15日完成することを決定し、翌年2月に起工式が行われた。

舞鶴工場での日英関係者一同(前列 左から滝本清八郎常務(当時)、アラステア・ピルキントン卿)
舞鶴工場での日英関係者一同(前列 左から滝本
清八郎常務(当時)、アラステア・ピルキントン卿)

工事の進行につれて、ピルキントン社から技術指導員が派遣され、7月以降、据付工事に従事した。当社からも9月に技術者15名がピルキントンを訪問し、フロート製法の講義や現場での作業に加わり操業技術を習得した。 設備設計においては英国ではあまり考慮する必要がなかった地震対策を設計に織り込んだり、フロート製法では驚異的なスピードでガラスが生産されるため、板ガラス切断以降には連続方向転換装置や分岐装置を設置したり、ガラス表面に傷を付けないように新たに開発したエアテーブルを採用するなどの対策も行った。

舞鶴工場での日英関係者一同
(前列 左から滝本清八郎常務(当時)、アラステア・ピルキントン卿)

舞鶴工場
舞鶴工場

フロート設備の建設工事は予定通り進み、1965年10月 熔槽の火入れを行った。こうして言葉の違いを乗り越えて難問題を解決して1965年11月15日に操業開始にこぎつけた。
この日、雪のふりしきる舞鶴工場は異様な興奮に包まれていた。10時30分、中村会長以下幹部がかたずを飲んで見守る中で、渡邊社長の手によって溶融ガラスの取出口が開かれ、ガラスはフロートバスに吸い込まれていった。やがて板ガラスは長い徐冷窯を通り抜け、約40分後にその先端から出てきた。ここに東洋初のフロート板ガラスが誕生したのである。

最初のフロート板ガラス最先端部
最初のフロート板ガラス最先端部