本社ビル建設を決定
戦後の1946年2月 当社の本社は大阪 北浜の住友ビル(大阪市東区北浜五丁目二二番地)に移転していたが、会社が成長するにつれて本社を拡張する必要がでてきた。しかし住友ビルは拡張する余裕がないため1950年3月本社ビルを建設することを決定し、建設用地として東区道修町四丁目に409坪の土地を購入した。
しかし1950年頃の経済情勢は朝鮮戦争による金融引締策や1957年からのなべ底景気と呼ばれる不況などの経済環境の変化のため、建設開始はたびたび延期せざるをえなかった。その後の国内景気の回復により土地購入から9年を経て1959年5月 本社ビル着工が決定された。
日本初の本格的カーテンウォール建築
日本初の本格的カーテンウォール建築
建設工事は1959年11月30日に地鎮祭を行い、12月2日に定礎式が行われた。 本社ビルは日本で初めての試みとして、3面総ガラスの本格的なカーテンウォール方式を採用することとし、ガラスビルの建設によって、建築におけるガラスの可能性を追求し、板ガラスメーカーである当社を象徴するものとした。
当時 わが国ではガラス張り建築の耐震性に不安をいだくことが多かったが、基本設計の段階で構造・デザインについて慎重な検討を行った。耐震テストも建設省建築研究所で行われ、関東大震災の2倍半の大地震にも十分耐えうることが明らかになった。また、実際の地震時にカーテンウォールにおよぼす影響を追求するため、東京大学地震研究所の依頼で強震計3台をビル内に設置したりした。気密・水密および風圧強度の試験も東京大学生産技術研究所で行われ、遮音性テストは小林理学研究所で行われた。これら一連の試験によって、カーテンウォール方式は要求されるあらゆる性能を完全に備えていることが実証された。
ガラスの殿堂誕生
ガラスの殿堂誕生
かくして、1961年5月 大阪のメインストリートである御堂筋にガラスの殿堂である本社ビルが完成した。御堂筋のいちょう並木にひときわ映えるグレーのガラスビルの斬新な美しさは人々に驚異の眼を見張らせた。
竣工式は6月3日に開催され、5日には元副総理、大阪府知事、市長のほか、各界の有力者の来賓を迎えて、披露パーティーが催しされた。この画期的なガラスビルの誕生は建築およびガラス専門誌では技術面からの報道が、一般の新聞や雑誌では“近代建築の粋を結集したガラスの城” “ガラス芸術の集大成”といった賛辞とともに写真を掲げて大きく報道された。
日本初の本格的カーテンウォール建築は、わが国の建築界に新しい方向を示した。当時はすでに超高層ビルの時代を迎えていたが、建築工法の近代化は大きな課題であった。その意味からも当社のガラスビルは貴重な資料を提供するものとして、各界の注目を浴び、見学者が相次いだ。事実、その後カーテンウォール方式のビルが数多く出現し、一種のブームを呼び起こした。